熱
- 渡邊快誠
- 2024年4月30日
- 読了時間: 3分
こんにちは。最近、平熱が37.5°ということが分かりました。背番号5番、今年から京都先端科学大学の主務を担当します。熱すぎる男、渡邊快誠です。
2003年6月18日富山県高岡市で僕は産まれた。家族構成は、父、母、姉、よし子、チワワ、そして、僕。5人と1匹という家庭で育った。小さい時から元気で声が大きいと言われ続け育った。
僕は特に熱いプレーにこだわっている。こだわっているというかサッカーをすると自然と熱くなる。それが楽しい。試合では、最後まで粘り必ずゴールを割らせない。声で味方を鼓舞し全員で勝利を目指すことをモットーにサッカーをしている。
サッカーは、小学校3年生の時に友達に誘われて地元の野村FCに入団した。小学生の時から走って走って走りまくるチームだった。監督はとても厳しく今では考えられない指導でボコボコにされた。そのおかげで駅伝選手として活躍する時もあった。(サッカー部あるある)
中学では、地元から離れた富山市にある富山北FCというクラブチームに入団した。富山北FCの良いところは、富山第一高校のグラウンドで練習ができることだ。僕が小学校4年生の時に全国優勝を果たした富山第一高校に僕はずっと憧れていた。その富山第一高校に入りたいという夢を持ち中学では、キャプテンを務めてチームを1部優勝させるために切磋琢磨した。だが、結果は最終節で2部降格が決まり、サッカーの厳しさを学んだ。
この悔しい気持ちを持ち夢の富山第一高校に僕は入学した。僕が入学した時は部員数が150人近くいる。 1年生の時はトップチームに何一つ関わることは無かったがとにかくがむしゃらにサッカーをし続けた。
2年生からは学年代表を任せられ責任感についてよく考えさせられた。特に富山から一緒に大学に来た岡本には手を焼いた。サッカーだけではなく普段の生活とサッカーがどれだけ結ばれているのかよく考えさせられた1年だった。
3年生になると何故かチームキャプテンとして150人のキャプテンになっていた。サッカーは実力不足で試合に出ていないのにキャプテンに任命されたのはおそらく富山第一高校、史上初だろう。富山第一高校のキャプテンというだけで周りからの目が変わり良い意味でも悪い意味でも見られた。この経験は僕の人生を左右するほどの経験だと僕は思っている。ただ、選手として最後の試合を出ることができなかったがことが悔しく、大学でもサッカーをすることを決めた。そして、入学したのがこの京都先端科学大学である。
以上で、自己紹介を終わります。振り返ってみると、僕の人生はほとんどが悔しいことばかりで決して楽じゃなかったと思います。ただ、周りの人のおかげで助けられています。環境にとても感謝しています。これからも必死こいて頑張るので応援よろしくお願いします。